未経験からのプログラマー転職日記

鬱病で大学8年かけて卒業したあとエンジニアになった人の日記

転職することになった

プログラミングの学校を探しているときにプログラマー就職キャンプというものを偶然見つけた。

gsacademy.tokyo

リクルートデジタルハリウッドが主催する転職支援付きのスクールで、ちょうど2回生の募集だった。

このコースを卒業するとスポンサーとして参加している企業の面接を受けられる。しかも授業料は安くちゃんと卒業したら学費が返ってくるので、ほぼタダで勉強でき転職までサポートしてもらえる。

最初は転職というよりは、勉強のためにこちらに通った。

扱った言語はHTML、CSSJavascriptPHPJavaで、いささか駆け足ではあったが毎週Webサイトやアプリを作成するかなり実践的な内容だった。

参加者の多くはIT未経験だったが中には私と同じようなITの末端だったけどキャリアアップしたいという人もいた。

卒業したらリクルートエージェントを通して転職活動を行うが、実際に転職するかしないかはその人の自由だ。

 

私もこのサービスを通して何社か受けた。

最終的に自社サービスを開発するベンチャーへの内定が決まった。

7月からwebエンジニアとして働く予定だ。

 

遠回りしてしまった人生のツケを清算するまではまだ遠い道のりであるが、SESを卒業してようやく第一歩目を踏み出せたといったところか。

私について

まずは私の現状について書く。私は大学入学後鬱病を患い、大学を卒業するまで8年間かかった。その後、未経験の状態でプログラマになった。未経験でなれるプログラマということで客先常駐である。大学はそこそこ有名な国立大学で同期の多くが有名企業や官庁に就職していたが、4年遅れで卒業した私にはそういったこの国で王道とされるキャリアパスは縁の遠い話であった。文系でとくにこれといったスキルのなかったが、(勘違いでも)学歴からかポテンシャルを買ってくれて今の会社に勤めている。

この会社にずっと勤めるつもりもないが、チャンスを与えてくれたことには感謝している。IT業界に首を突っ込み1年が経ったが客先常駐というものがどういったものかは理解している。検索で「客先常駐 SES」とか入れればこの国のIT業界がどういった構造でどういった不条理が存在するかについての記事がたくさん書かれている。わざわざ説明するまでもなく、私はこの国のIT業界の最下層にいるのだ。

私だって好きで鬱病になり8年かけて学部を卒業し、同期たちの華々しい経歴とは対極の道を歩んでいるわけではない。今更この国で王道と言われているキャリアに自分の人生を戻そうなんて思わないが、それでもいつまでも業界の最下層に留まるつもりはない。採用時に社長も3年くらいうちで修行していきなよと言っていたしお言葉に甘えてそうするつもりだ。


修行といっても規模の小さい会社なので研修などないに等しい。最初の1カ月の研修は自分でHTMLを調べてサイトを作ってみる自習、次の月は自社で持っていたシステム開発の案件をネットで調べながら完成させること、言ってしまえば習うより慣れろという方針だ。

正直一度鬱病を患った身には辛い。形だけの研修が終わった後は現場に放り込まれる。派遣先は自分の出身大学の学生が行くような企業が多い。直接の派遣ではなく、間に12社(酷いと4社)入る。この国のIT業界で常態化しているアレだ。どうしてこうなってしまったのかと悩まない日はない。しかし私には選択肢などないので這い上がれる日を夢見て続けるしかないのだ。

今の私に希望はない。ただ、惨めな状態のまま自分が朽ち果てていくことは望まない。死ぬのは怖くないが、だれが好き好んで「難関大学まで上り詰めたけど若くして選択を誤り、だれにも認められることなく、馬鹿にされたまま死んでいきました」と言われながら人生を終えることを望むだろうか。

私は現状に対する拒絶と怒りで一度死んだ体を動かしている。一度死んだというのは比喩ではなく、体にそういう感覚が身に付いているのだ。精神の病を患い、その後奇跡的に日常生活を送れるレベルまで回復した人ならこの感覚はわかるかもしれない。私は18歳の時に人生に失敗して一度死んでしまったが、死に切れず今日まで生き延びてしまった。


話が飛んでしまったが、つまり一度人生に失敗した人間が、この国のIT業界の最底辺に身を置いて再チャレンジしようと躍起になっているのが私の現状だ。

いろいろと批判されることの多いこの国のIT業界最下層であるが、私のような大学でプログラミングを勉強したわけでもない人間が、働きながら勉強できるのでその点においてはSESで働く側にとっての数少ないメリットの一つだと思う。

話は逸れるがプログラミングについて上位の大学で勉強しいい成績を収めた人間ほどプログラミングから離れることができる構造は進撃の巨人の兵団のシステムを思わせる。まあ、IT業界に限らずそういった構造は世界中に溢れているのだが。

また話を戻すと、プログラマの仕事にも慣れてきたのでプログラミングの学校にも通った。教室で体系的に教えられることで入ったばかりのころ訳も分からず書いていたものが理解できたし、今後の勉強の方針も立てやすくなった。

10年間止まっていた時間がようやく動き始めた。自分の今後について整理してみたいと思い文章を書いている。



さて、今後をどうしたいか。

30歳を目の前にして同期たちはそろそろ中堅と呼ばれてもおかしくない。4年の差は大きく、今更有名企業に入って彼らのキャリアパスに合流したいなんて非現実的なことは考えていない。レールから外れてしまった人間にはレールから外れてしまった人間としての生き方があるのだ。勉強の合間に将来の方針について書いていきたい。


・技術系の院に進む

社会人入試枠で大学院に進みたいという願望が頭から離れない。これは単なる学歴コンプであり、学部8年卒業という傷物の経歴に少しでも鍍金を施したいという願望だ。正直これの優先度は低いだろう。学歴や職歴だけが全てじゃないという偽善は大嫌いだが、現実問題として修士を取ったからといって学部で失敗したという事実を書き換えることはできない。日本でのキャリアパスを諦めているならなおさら取る必要はない。しかし憧れはある。


・海外で就職する

日本でのキャリアは諦めている。そして日本のIT業界のようなゼネコン体質を持っていない国(先進国ではこっちのほうが恐らく多数派であろう)ではプログラマは十分食っていける職業である。そうなるとまず最初に上がってくるのがこの選択肢だ。

幸いなことに大学では外国語を主にやっていたので、英語やその他の言語を学んだり外国で生活することは苦にはならない。スキルさえあれば同じ職種なら日本よりも給与が高いことが多く、国を選べば税金も安い。社会保障から切り離され完全自己責任の世界で生きることになってくるが、どうせ日本にいてもこの先年金が貰えるなんて保証はないしそれなら自分で管理したほうがマシだろう。


・起業、独立

知ってのとおり客先常駐から上流の工程に進むことは難しい。難しいだけならいいのだが、この国のプログラマという職業は不思議な(中抜きという)力が働いて給与が極端に低く抑えられている。誰が得をするのだこのシステムと叫んだところで仕方ない。より給料の高い上流へ行くのは困難となると、独立してフリーランスプログラマになるかプログラミングの腕ひとつで起業するかのどちらかなのだ。

韓国に「起承転鶏」という言葉がある。文系に進もうが、理系に進もうが、大企業に入れなければ過労死するかチキン店を開くか、餓死するかしか残ってないという若者の閉塞感を表した言葉だ。この国のIT業界最下層にも似たようなことが言えるだろう。薄給で搾取され続けるか、自分で稼げるようになるか、餓死するか、これしか選択肢が残されていない。未経験者の先人たちのブログを読むとこの方法によるキャリアアップが一番多い。もちろん失敗する人も多いのだが、いずれにせよ我々に待ち受けるのは「起承転鶏」なのである。


・海外で起業

上記2つの組み合わせ。どうせこの国の王道から外れてしまったのだから好きに暴れてやろうぜという、まあ一種のテロリズムである。実際問題少子高齢化で政府も上のジジババ世代も一向に解決するつもりもない状況を眺めながら沈み行くこの国でボーっとしているくらいなら成長著しい東南アジアとかの新興国を渡り歩いたほうがまだ楽しいのではないのだろうか。新興国1年間だけ暮らしたことがあるが、実際老いるだけの国よりは若い国のほうが楽しい。どうせレールから外れた人間なんだからそういう人がひとり国を捨てたくらいどうってことないだろう。どうせこのまま日本でSESしてても捨てられるだけなのだ。死ぬのは構わないが、私は惨めな状態のまま死にたくはない。どうせ死ぬなら満足いくまで戦ってから死にたい。もはやこれはテロリズムなのである。

 

 

レールに乗ることだけが人生ではないと言うが、実際にレールを外れるとはこういうことなのだ。

こんなこと書いてる暇あるなら手を動かしてコードを書け。

入ったばかりのころ手を動かせとよく社長から言われて、書き方もわからないのにどうやって書くんだよと思ったものだが、今なら彼の言っていたこともわかる。プログラミングの授業で基礎的なことは分かるようになってきても、手を動かして試行錯誤することが作業の大半を占める以上、手を動かし頭を動かすしかない。

10年間も止まり続けていた。もうこれ以上止まることは許されていない。